人生いろいろ・森本の場合


サインディスプレイ製作
 お店のショーウィンドウに文字が貼ってあったり、イベント会場で企業のロゴや説明文がカラフルな切り抜き文字で貼ってあったりしますが、あれです。コンピューターを使ってデザインし、プリンターの代わりにプロッターという機械を使って粘着シートの表面をカットして作ります。
 この仕事でまずはキータイピングを鍛えることができました。DOSも少々。書体にも詳しくなり、デザイン・レイアウトのテクニックも身につけました。
 新宿に会社があったので社長にくっついてよく飲み歩いてました。それで酒に強くなったのかって? (^^;



シンセサイザーオペレーターのアシスタント
 まだサイン制作の会社に勤めていたとき麗美の「夢はおいてますか?」というアルバムを聴いてそのアレンジ(Arr.:萩田光雄)に感動。いつかはこんなアレンジを・・と思ったのでした。
それからちょうど1年後、上司との折り合いが悪くなり転職してシンセOp.のアシスタントになってしまいます。(この少し前にATARI ST とVirtuosoに代わってMac ClassicIIとPerformer4.0を手に入れた。)
 そしてなんとラッキーなことに初日から憧れのアレンジャー氏の現場に潜り込むことに成功。現場を直接見ることで自分の感性・感覚を再認識。作った物の出来も「いったいどうしたの?(^^;)」って言われるくらいに変わりました。
 しかし1日5千円の給料では生活が続かず、おまけにアシスタントは人不足。超過密スケジュールで身体はボロボロ。2カ月で転職してしまいます。



電力用テレコンのソフトウェア開発
 変電所間でデータを送受信したりコントロールしたりするシステム(テレメーター・コントローラー)のソフト、いっぺん暴走したり止まっちゃったりすると末端の損害はン億円(^^;;;)なんていうものをいじってました。
 コンピューターの基礎から勉強して、プログラミング、テスト、実機デバッグまで一通りの仕事を体験。
 某大メーカーの工場に出張してネットワークの端末叩いて大型コンピューターでアセンブルかけたりとかしてたのが次の仕事でパソ通始めるのに大いに役に立ちました。
 さんざんアセンブラやったので当然16進はスイスイ。これが通信カラオケのMIDIデータ扱うときに生きてくるとは思いもよらず、バブル崩壊の煽りをくらって1年ほどで転職。 (この頃作曲家 小夜乃 彗さんと出会う)



MIDIカラオケデータ制作
 しばらくして通信カラオケブームが始まると仕事はあるんですがちょっとばかり忙しすぎ。7、8曲立て続けにやったら神経まいっちゃいました。(ちなみに初めの4曲は偶然にも前述の萩田氏のアレンジだったんで手の内解ってたから楽勝だった(^^))
 しかし業界一クオリティーに厳しいメーカーのチェックを一発でパスするべく打ち込みテクを磨きノウハウを蓄め込むとこれがまた次の仕事で役に立ってくるわけです。


 で、同じ事務所に出入りしていた人の紹介によりXGで拡販に燃えるヤマハへ。 現在に至る。


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